第二次世界大戦とスペイン
第一次世界大戦でスペインは中立政策をとった。
急激に進んだインフレや、カタルーニャ・バスク地方の独立運動によりスペインは混乱が続いた。王政は打ち倒され、右派と左派が争い内戦に陥った。
イタリアとドイツのファシズム勢力から支援を受けたフランコが独裁体制を確立したことで、この混乱は収まった。1939年4月のことだった。
フランコ独裁体制
フランコ政権はイタリアやドイツのファシズム体制を参考に、教員の粛清や労働組合の財産没収を行い、カトリック教会の地位復活などを行った。
第二次世界大戦が勃発すると、スペインは中立を宣言した。フランコは明らかに枢軸国側の人間だったが、当時のスペインは内乱が終わったばかりで荒れ果てており、とても戦争に加わるような状態ではなかった。
しかしドイツが快進撃でフランスを降伏させたのを見て、フランコは枢軸国側に立って参戦しようと考え始め、ヒトラーやムッソリーニと条件交渉を始めた。しかしフランコの要求は過大だったため、ヒトラーもムッソリーニも条件を受け入れようとしなかった。
やがて独ソ戦が始まると、ヒトラーはスペインの参戦など、どうでもよくなった。そこでフランコはドイツに義勇兵と労働者を送り、勝利の分け前を得ようとした。
連合国への歩み寄り
やがて枢軸国側が不利になってくると、フランコはドイツから義勇兵を引き揚げさせ、ポルトガルと相互防衛協定を結んだ。ポルトガルは伝統的にイギリスと協力関係にあった。
フランコは中立、反共産主義、反日本という立場を明確にして、民主主義的な制度を取り入れていくことで連合国に歩み寄った。
第二次世界大戦が終わると、ソ連がスペインを枢軸国並みに処分するよう主張した。アメリカとイギリスもフランコ政権に厳しい態度を取り、1946年12月にはスペインを国際連合から排除するに至った。