第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とタイ

タイ

 タイはアジアでは珍しく、列強の植民地支配を受けなかった国である。第一次世界大戦では最初に中立を宣言し、連合国が有利になったところで参戦して何もせずに「戦勝国」の立場を得た。

 タイは世界恐慌で大打撃を受け、やがて国民の不満が高まりクーデターが勃発した。タイは絶対王政から立憲君主制へと移行し、軍の支持を受けて首相に就任したピブーンソンクラームは国号を「シャム」から「タイ」に変更した。

 このクーデターの成功には、日本の協力があった。

第二次世界大戦とフランス領インドシナ

 第二次世界大戦が始まるとタイは中立を宣言し、イギリス、フランス、日本と不可侵条約を結んだ。やがてフランスが降伏すると、日本軍がフランス領インドシナ(現ベトナム)北部に進駐するようになった。

 タイはこの機会にフランスに対し、領土の返還とラオス・カンボジアの宗主権返還を要求する。怒ったフランスはタイに空爆を開始した。タイはカンボジアに侵攻したが、フランス海軍との海戦で大打撃を受けた。

 タイの敗退を防ぐために日本が調停に乗り出し、タイとフランスは和平を結んだ。

 しかしタイは戦争で劣勢だったにもかかわらず、ラオスとカンボジア全土の返還をフランスに要求した。両国は再び対立するが、日本がフランスに圧力をかけて、領土の一部をタイに返還することで落ち着いた。

タイの中立政策と参戦

 このようにタイと日本は友好関係にあったが、日本からの同盟の誘いには乗らなかった。それどころか、イギリスに対日本協力を申し出ていた。連合国と枢軸国のどちらにつくか、様子をうかがっていたのである。

 やがて日本がフランス領インドシナ全域を支配するようになり、タイとも国境を接することになった。日本から侵略されることを恐れたピブーンソンクラームは、イギリスとアメリカに支援を求めた。しかし両国はタイを信用していなかったので、応じることはなかった。

 一方、日本はタイに日本軍の通過許可や防衛協定の締結を求めてきた。ピブーンソンクラームは日本の外交官がやってくると意図的に面会を避けた。こうして交渉することすらできなかった日本は、仕方なくタイ領内に無許可で侵入した。

 こうしてタイは「やむを得ず」日本の同盟国になり、連合国に宣戦布告した。

 さっそくタイは自らを日独伊三国同盟へ加えること、日独伊とタイを対等に扱うことを要求した。結局三国同盟には加わらず、日本と単独で同盟を結んだ。そしてこの機会に日本の支援を得て領土を拡大しようと考え、ビルマへの侵攻許可を日本に求めたのだった。

 やがてタイと日本の同盟によるメリットは失われていった。戦況の悪化により日本はタイの支援要請に応えられなくなっていった。ピブーンソンクラームは日本と距離を取ることに決め、大東亜会議への出席を断った。大東亜宣言にも署名しなかった。そして、中国と手を組んで日本と戦う計画を立て始めた。

敗戦国脱却

 タイ国内では連合国側に立つ自由タイの活動が活発になり、ピブーンソンクラームの独裁に批判が高まった。1944年7月にピブーンソンクラーム内閣は総辞職した。

 次に成立したアパイウォン内閣は日本との同盟関係を維持しつつも、自由タイの活動を支援した。連合国からの爆撃が激しくなると、国内では自由タイの支持が高まった。日本もタイ政府が自由タイを支援していることを察知し、両国の関係は最悪になった。

 日本が降伏すると、タイは連合国への宣戦布告の無効を宣言し、戦争中に得た領土をイギリスに返還することを表明した。タイから直接侵攻を受けたイギリスはこれを認めようとしなかったが、アメリカが仲介して連合国はタイの宣戦布告無効を受け入れた。

 こうしてタイは「敗戦国」にならずに済んだのだった。

 その後、フランスがタイに領土の返還を要求してきた。タイが拒否したため、フランスと交戦状態に入った。問題は国連安全保障理事会に持ち込まれたが、フランスが拒否権の行使も辞さない姿勢を見せたため、タイが譲歩して領土は戦争前の状態に戻った。