第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とタイ

 タイは第一次世界大戦で中立を宣言し、連合国が有利になったところを見て連合国側に立って参戦した。タイはほとんど何もせずに「戦勝国」となった。

 1929年の世界恐慌はタイの経済に大打撃を与えた。主要産業である米の輸出額は半分になり、国王は危機を乗り切るために公務員の解雇や俸給の減額を断行する。国民からの国王に対する不満が高まり、ついにクーデターが勃発した。

 当初国王はこれを鎮圧するつもりだったが、内乱を避けるために要求を受け入れ、タイは絶対王政から立憲君主制へと移行した。

 ピブーン首相は国名を「シャム」から「タイ」に変更し、国民のナショナリズムを鼓舞した。

第二次世界大戦と不可侵条約

 第二次世界大戦が勃発すると、タイは第一次世界大戦と同様に即座に中立を宣言した。

 イギリスとフランスはドイツとの戦争で東南アジアには手が回らない状況だったため、タイと不可侵条約を結ぶことにした。タイはこのときフランスとの不平等条約の解消に成功する。

 タイは日本とも不可侵条約を締結した。タイは満州問題で対日非難決議に棄権票を投じ、日本はピブーンのクーデターに協力していた。両国は友好国だった。

フランス領インドシナをめぐる攻防

 フランスがドイツに降伏すると、日本はフランス領インドシナ(ベトナム)北部に進駐した。

 そこでピブーンはフランスに対し、かつて失った領土の返還を要求し、さらにフランスが植民地を放棄する際にはラオスとカンボジアの宗主権をタイに返還するよう要求する。

 ピブーンはイギリスやアメリカにも働きかけて、フランスに要求をのませようとした。タイの強気の姿勢に対して、アメリカは日本とタイの関係を疑っていたため支援しなかった。イギリスは前向だったものの、やはり動くことはなかった。

 一方で日本は、タイとの同盟締結を望んでいた。だが、タイは日本の勝利を確信できなかったため、態度を保留した。

 1940年11月、ついにフランスがタイに空爆を開始した。タイもこれに応じて空爆を始め、カンボジア方面へ進軍を開始する。

 地上のタイ軍は順調に進撃するが、タイ海軍がフランス海軍の攻撃で大打撃を被った。タイの敗退を防ぐために日本が調停に乗り出し、両国は和平を結んだ。

 タイ国民は自国の大勝利を信じていたため、ラオスとカンボジア全土の返還を要求した。優勢だったフランスがこれに応じるはずもなく、両国は再び対立する。

 そこで日本はフランスに圧力をかけ、フランスに領土の一部返還を認めさせた。

タイの中立政策

 ピブーンは未だに日本の勝利を疑っていた。イギリスに対して対日本協力を打診し、勢力の均衡を狙った。あくまでタイの目標は「戦勝国」になることだった。イギリスはこの提案に好意的だったが、アメリカは否定的だった。

 1941年7月、日本がフランス領インドシナ南部にも進駐し、日本とタイは国境で対峙することになる。タイに危機が迫った。

 日本の侵略を恐れたピブーンは、イギリスとアメリカに支援を要請した。だが両国は応じなかった。そこで日本が侵略してくれば日本に宣戦布告すると伝えたが、やはり両国は消極的な姿勢を崩さなかった。

 日本はタイに日本軍の通過許可や防衛協定の締結を求めようとした。しかしピブーンは事件調査の名目でバンコクを離れ、日本との交渉を避けた。やむを得ず日本はタイの了承を得ずに領内に侵入した。

枢軸国に加盟

 こうしてタイは「やむを得ず」日本の同盟国となった。日本と同盟を結び、連合国に宣戦布告した。

 タイは日本に対し、日独伊三国同盟にタイを加え、対等な立場とするよう要求する。さらに軍を北に移動させ、シャン州への攻撃許可を日本に求めた。日本はこれに否定的だったが、タイの再三の要求により許可した。

 タイは日本の要求に応じつつも、自らの領土拡大を目指していた。

 だが、タイはやがて日本から同盟国扱いされていないことに気づいた。さらに日本の戦況が悪化していることから、ピブーンは日本と距離を置き始めた。タイの支援要請に日本も応じられなくなった。

 ピブーンは大東亜会議への出席を固辞し、大東亜宣言に署名しなかった。中国に接近し、日本と戦う計画も立てていた。

敗戦国脱却

 1944年7月、国内では連合国側に立つ自由タイの活動が活発になり、ピブーン内閣は総辞職した。次に成立したアパイウォン内閣は、日本との同盟関係を維持しつつ、自由タイの活動を支援した。

 連合軍の爆撃が激しくなると自由タイの支持が高まり、日本離れが進んだ。日本もタイ政府が自由タイを支援していることを察知し、両国の関係は最悪となった。

 1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾した。

 タイは連合国に対して行った宣戦布告の無効を宣言し、戦争中に得た領土をイギリスに返還することを表明した。

 アメリカはタイの宣戦布告無効を受け入れた。イギリスはタイと直接交戦していたことから報復を望んでいたが、アメリカが仲介した。

 フランスはタイに領土の返還を要求した。タイが拒否すると、フランスはタイを攻撃した。タイは国連安全保障理事会に提訴したが、フランスは拒否権の行使も辞さない構えを見せた。ここでタイが譲歩し、領土は戦争前の状態に戻ったのだった。