第二次世界大戦とポルトガル
第一次世界大戦でポルトガルは連合国側に立って参戦したものの、得るものは少なく国内は混乱状態に陥った。特に経済の混乱がひどく、急激なインフレが国民を襲った。
このような中で軍事政権が誕生し、コインブラ大学教授だったサラザールが財政再建を果たして権力を握るようになった。サラザールは首相・財務大臣・陸軍大臣・外務大臣を兼任し、独裁者になった。
サラザール独裁とイベリア同盟
ポルトガルは第二次世界大戦が勃発すると中立を宣言した。伝統的に永久同盟を結んでいるイギリスと距離を置き、隣国スペインに接近した。スペインとの「イベリア同盟」により不可侵条約を結び、経済的にイギリス依存からの脱却を図った。
戦争中は連合国にも枢軸国にもタングステンの輸出を行い、経済は繁栄した。
しかし枢軸国が劣勢になると、サラザールは連合国に接近することにした。イギリスとアメリカに大西洋の軍事基地の使用を認めた。ポルトガルは貴重な中立国として、ヨーロッパからアメリカに脱出するためのルートになった。
ポルトガル国民はこの間インフレ、賃金低下に苦しみ、ストライキを起こすようになったが、サラザールは徹底的な弾圧で押さえ込んだ。
戦後の独裁体制
戦争終結後も、サラザールの独裁体制は続いた。世界の独裁政権はどんどん減っていったが、サラザールは表面上選挙を行い、対立候補を妨害することで独裁を維持した。
世界では西側諸国と共産主義陣営の対立が激化していたため、独裁政権のポルトガルも北大西洋条約機構(NATO)や国際連合に入ることができた。しかしポルトガルはヨーロッパ最貧国と言われるようになり、国民の海外流出が止まらなくなった。
やがて1968年にサラザールが倒れ、1974年には軍事クーデターが起きてヨーロッパ最長の独裁体制は打ち倒された。