第二次世界大戦の解説

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃

 アメリカ太平洋艦隊の本拠地であるオアフ島真珠湾への攻撃は、奇襲を成功させるために念入りに計画された。

 「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の空母六隻を擁する機動部隊は、千島列島の択捉島にいったん集結し、そこから北洋を航海してハワイ諸島へと向かった。空母護衛のため、戦艦「霧島」「比叡」が随行した。

 機動部隊が発見されることのないように、潜水艦が事前に警戒にあたった。

アメリカ太平洋艦隊壊滅

 1941年12月2日、機動部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文が届いた。12月8日作戦決行の合図だった。ちなみに新高山は台湾にある山で、富士山よりも標高が高かったため日本一の山と呼ばれていた。

 アメリカ軍は日本軍の接近に全く気づいておらず、まったくの無防備な状態だった。レーダーには日本軍機がはっきりと写っていたものの、当直の将校はこれを自軍のB-17だと勘違いして報告していなかった。

 こうしてアメリカ軍は戦闘機を離陸させることもできず、対空砲すら撃てなかった。基地と停泊中の艦隊は一方的な攻撃に晒されることになった。戦艦「オクラホマ」と「カリフォルニア」が沈没し、他の大型艦も炎に包まれた。

 第一次攻撃隊が飛び去ってから一時間後、第二次攻撃隊が攻撃を開始した。アメリカ軍は対空砲で応戦し、戦闘機も迎撃に上がった。

 二度の攻撃により、戦艦「ネバダ」「アリゾナ」「ウエストバージニア」が沈没し、「テネシー」「メリーランド」「ペンシルバニア」も大破した。そしてヒッカム飛行場、ホイラー飛行場が破壊され、三百機の航空機も破壊された。

リメンバー・パールハーバー

 アメリカ軍の飛行場と艦隊を壊滅された機動部隊は、次の攻撃目標として燃料貯蔵タンクやドックへの攻撃を検討した。しかし機動部隊司令官である南雲中将は、敵の空母がいないことを気にした。

 結局、機動部隊は敵空母からの反撃を恐れて三度目の攻撃は行わず、全速で逃げ帰った。こうして真珠湾攻撃は成功に終わった。

 アメリカのローズベルト大統領は日本軍の行いを「卑劣なだまし討ち」として表現して演説を行い、アメリカ国民は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」をスローガンに次々と軍に志願していった。

 太平洋艦隊司令長官のキンメルとハワイ方面陸軍司令長官のショートは更迭され、警戒を怠ったとして責任を追及された。