第二次世界大戦の解説

モスクワ攻防戦

モスクワ攻防戦

 1941年10月10日、スターリンはレニングラード防衛に尽力していたジューコフをモスクワに呼び寄せ、西部方面軍司令官に任命した。ドイツ軍は首都モスクワの目前まで迫っていた。

 ついにソ連政府をクイビシェフ(現サマーラ)に移すことが決定し、赤軍参謀本部はアルザマスに疎開することが発表された。モスクワの市民はパニックに陥り、東へ脱出しようとする人が相次いだ。10月17日には戒厳令が発令された。

 スターリンは悩んだ末、モスクワに留まることを決意した。

十月革命記念日

 スターリンは市民の動揺を沈めるため、そしてソ連軍の士気を高めるため、あえて危機的状況の中で軍事パレードを挙行することにした。

 11月7日、十月革命記念日に革命24周年を祝う軍事パレードが行われた。スターリンは演説でドイツ軍がレニングラードとモスクワに迫っていると述べ、祖国の自由と独立のために立ち上がるよう国民に訴えた。

 同志諸君、我々は今日、困難な状況の中で十月革命の24周年を祝わねばならない。

 ドイツの野蛮な盗賊どもによる裏切りの攻撃と、彼らの仕掛けてきた戦争が、我が国に脅威をもたらしている。現在、我々は領土の一部を奪われており、奴らはレニングラードとモスクワの門前に迫っている。

 敵は最初の一撃で我が国が膝を屈したと考えているようだが、それはまったくの誤算である。我らの軍は勇敢に戦い、敵の攻勢を退け、敵に甚大な損失を与えている。敵を叩きのめすため、国全体がひとつになったのである。

 我々の人的資源は無尽蔵だ。23年前と同じように、偉大なるレーニンの精神が我々を奮い立たせる。

 同志諸君、赤軍の兵士たち、指揮官、指導者、男女ゲリラ兵の諸君よ。諸君は世界中から注目されている。諸君はドイツ侵略軍を撃退する力を持っている。侵略に屈服し、支配下で奴隷となったヨーロッパ人は、諸君を解放者として頼みにしている。

 解放という大きな使命は、諸君に課せられた宿命である。この戦争は、解放のための正義の戦争である。偉大な祖先の勇ましい姿を思い浮かべ、自己を奮い立たせるのだ。

 偉大なるレーニンの勝利の旗を掲げよ。ドイツ侵略軍に破滅を与えよ。占領軍に死を。祖国の自由と独立に栄光あれ。レーニンの旗の下、勝利に向かって突き進むのだ。

 このパレードはスターリンの指示により新聞で大々的に取り上げられ、国民を奮い立たせることになった。モスクワのパニックは収まり、労働者10万人が民兵として集まった。

ドイツ軍の大攻勢

 一方のドイツ軍も悩んでいた。気温は零下20度から零下40度の中、攻勢に出られるのか。冬の装備が不十分な中ではモスクワに進出することはできなかった。

 グデーリアン上級大将をはじめ、多くの参謀はモスクワ攻略を諦めていた。しかし中央軍集団の司令官ボック元帥はモスクワ攻撃を主張した。このまま守勢に転じるよりは、モスクワを攻撃してソ連に打撃を与えた方が良いという判断だった。

 ドイツ軍は武器弾薬の不足や凍傷と戦いながら前進した。その悲惨な状況にボックもモスクワ占領は不可能であると悟ったが、攻撃中止の許可が下りることはなかった。

 寒さに襲われたドイツ軍は、敵と戦うことなく消耗していった。パンは凍り付いて食べられず、戦車のエンジンも凍結した。兵士たちは戦争どころか、冬を乗り越えなければならなかった。

 12月に入るとソ連軍が反攻に転じて、戦線を押し返した。その後もドイツ軍とソ連軍の攻防は続いたが、モスクワがドイツ軍の手に落ちることはなかった。