第二次世界大戦の解説

バルバロッサ作戦

T-34戦車

 ヒトラーがソ連侵攻の検討を始めると、ドイツ陸軍でも具体的な計画が練られた。将校たちは、ナポレオンによるロシア遠征の事例を調べた。

マルクス案とオットー案

 まず、第18軍参謀長エーリヒ・マルクス少将がソ連侵攻計画を提出した。軍を北方軍集団と南方軍集団の二つに分け、北方軍集団はモスクワを目指し、南方軍集団はキエフを経てハリコフに到達する、というものだった。

 最重要目標は、首都モスクワの占領である。モスクワはソ連の政治・経済の中心というだけでなく、ソ連国民にとっては古くからの首都であり、これを占領できれば敵の志気をくじくことができる。

 しかし参謀総長フランツ・ハルダー上級大将はこれとは別の「オットー案」をヒトラーに提出した。

 オットー案では軍を北方軍集団、中央軍集団、南方軍集団の三つに分ける。北方軍集団はレニングラードを目指し、中央軍集団はモスクワを目指し、南方軍集団はハリコフ方面を目指すというもの。

 目標はモスクワの占領ではなく、ソ連軍を壊滅させることにあった。モスクワを攻撃すると見せかけて敵をおびき出し、包囲殲滅するという作戦である。

ヒトラーの戦略

 ヒトラーは「オットー案」を大筋で承認しつつ、「レニングラードとウクライナの占領」を第一目標とするよう命じた。

 レニングラードはバルト海に面した都市で、ソ連艦隊の拠点になっていた。ここを占領すればバルト海の支配権を確立できる。バルト海を支配できれば、スウェーデンやフィンランドからの鉱物資源を安全にドイツに運ぶことができた。

 また、ウクライナも農業資源や鉱物資源が豊富だった。

 モスクワの占領を目標にしたマルクス案、敵軍の殲滅を目標にしたオットー案、そしてレニングラードとウクライナ占領を目標にしたヒトラー。それぞれの考えが異なっていた。

 こうして目標は曖昧になった。第一目標である「レニングラード占領」は北方軍集団が敵を殲滅後に行い、「ウクライナ占領」は南方軍集団が敵を殲滅後に担当することになった。残る中央軍集団の目標は、はっきりしなかった。

 中央軍集団の司令官ボック元帥は、曖昧な命令に困惑した。中央軍集団は敵を殲滅した後、レニングラードに向かうべきなのか、モスクワに向かうべきなのか。あるいは、南方軍集団が苦戦しているときには援護に向かうのか。

 しかし、ドイツ軍が保有する戦車の半分は中央軍集団に配備された。特にハインツ・グデーリアン上級大将が指揮する第二装甲集団には、最新の三号戦車が集中的に配備された。

独ソ戦開始

 1941年6月22日早朝、ドイツ軍がソ連領に侵入を開始した。

 奇襲攻撃は成功し、ソ連軍の通信網を分断、前線近くの航空機を離陸する前に破壊した。ポーランド国境近くにあるブレスト=リトフスク要塞は猛爆撃の末に一週間で陥落した。

 中央軍集団と対峙するソ連軍西部方面軍には新型戦車のT-34やKV-1が配備されていたのだが、操作を誤って戦う前に壊してしまったり、急降下爆撃を受けて撃破されていった。

 ソ連軍はドイツ軍を上回る戦車や航空機を保有していたが、奇襲を受けて大混乱に陥り、満足に反撃もできなかった。ソ連指導部には敗走の情報が続々と入ったが、スターリンは絶句して青ざめていたとされる。

 ソ連の西部方面軍はあっという間に壊滅し、戦車や車両を放棄して逃げ出した。司令官であるパウロフ上級大将はモスクワへ送られ、敗戦の責任を取らされて射殺された。

北、中央、南の三方向からの進撃

 ヴィルヘルム・フォン・レープ将軍の指揮する北方軍集団はレニングラードへ向かった。北方軍集団はバルト三国を突破し、目標だったレニングラードを包囲したが占領することはできなかった。特に主力部隊はモスクワ攻略のために中央軍集団に引き抜かれてしまった。

 フェードア・フォン・ボック将軍の指揮する中央軍集団はミンスク、スモレンスクを占領してモスクワに迫ったが、途中で南方軍集団のキエフ攻略を支援したためにモスクワ到達に遅れが生じた。結局モスクワを攻略することはできなかった。

 ゲルト・フォン・ルントシュテット将軍の指揮する南方軍集団はソ連軍の主力部隊と衝突することになり前進が遅れた。さらにロストフでいったん後退したことから、ルントシュテットはヒトラーに解任されてしまった。

ソ連の抵抗「大祖国戦争」

 スターリンはラジオで民衆に徹底抗戦を呼びかけ、独ソ戦を「大祖国戦争」と名付けた。かつてナポレオンの侵攻を撃退した「祖国戦争」になぞらえた。

 「祖国戦争」同様に焦土作戦を命じ、退却の際にはドイツ軍に物資が渡らないよう、すべてを焼き払った。

 9月8日にレニングラードが包囲された。19日にキエフが陥落、10月2日には首都モスクワが攻撃を受けた。スターリンはモスクワにとどまり、指揮を執った。

 ヒトラーはモスクワ陥落を宣言したが、スターリンは軍事パレードを行ってモスクワの健在をアピールした。ナポレオン戦争を引き合いに出して、国民を鼓舞した。

 予備役530万人を動員し、労働者や企業をウラル山脈やシベリアに移動させて戦争継続体制を整えた。ドイツ軍の過酷な占領政策も相まって、ソ連国民の抵抗が弱まることはなかった。

 イギリス首相チャーチルは、ソ連に援助を提案した。継続的に北極海のムルマンスクへ物資を届けた。アメリカもソ連に武器貸与法を適用し、アルミニウム、戦車、航空機の提供を決めた。

 共通の敵を前にしたイギリスとソ連、そして実質的にイギリスを支えていたアメリカが手を結んだ。

 冬が到来し、モスクワはついにドイツ軍の攻撃に耐えきった。