第二次世界大戦の解説

クルスク戦車戦

T-34戦車

 天王星作戦でスターリングラードの包囲に成功したソ連軍は、次なる作戦を開始しようとしていた。その名も「土星作戦」である。

 土星作戦は壮大な作戦だった。ドイツ軍の重要拠点であるロストフ・ナ・ドヌーを急襲し、南方に展開するドイツA軍集団とB軍集団の補給線を断ち切り、殲滅しようとするものである。

 しかしドイツ軍がスターリングラード救援の動きを見せたため、これを防ぐことを優先することになった。土星作戦は「小土星作戦」に縮小された。それでも小土星作戦はハンガリー第二軍とイタリア第八軍を撃破し、ドイツ軍の前線に風穴を開けることに成功したのだった。

疾走作戦と星作戦

 小土星作戦の成功をウクライナ奪還の好機とみたソ連軍は、続けて攻勢をかけることを決めた。

 南西方面軍がドニエプル川の渡河地点を確保し、南方面軍がロストフ・ナ・ドヌーを占領する「疾走作戦」、ヴォロネジ方面軍がハリコフへ進出する「星作戦」を実施する。戦力も十分だった。

 1943年2月当初、スターリングラードでドイツ第六軍が降伏した頃、疾走作戦と星作戦が実行されていた。ソ連軍は快進撃を続けた。ヴォロネジ方面軍がクルスクを解放し、ハリコフ占領にも成功した。南西方面軍もロストフ・ナ・ドヌーに迫った。

 この間、ドイツ軍は退却を続けていた。ドイツ軍は既に崩壊していて、すべては順調だ。ソ連軍はそう考えていた。

 2月20日、敗走を続けていたドイツ南方軍集団が反撃を開始した。

 不意打ちを食らったソ連の第六軍と第一親衛軍は、あっという間に撃破された。先頭にいた第二十五戦車軍団は敵中に孤立し、燃料が尽きると戦車を捨てて逃げ出した。疾走作戦は頓挫した。

 次にドイツ軍はヴォロネジ方面軍に襲いかかった。ハリコフは再びドイツ軍の手に落ち、ソ連軍は奪還した領土のかなりの部分を失ってしまい、かろうじてクルスクを維持する状態になった。

 こうしてドイツ南方軍集団司令官マンシュタインの作戦「後手からの一撃」が成功し、両軍の戦線はいったん膠着状態となった。

ツィタデレ(城塞)作戦

 地図を見ると、クルスク周辺のソ連軍だけが突出した形になった。マンシュタインは南方軍集団と中央軍集団の共同でクルスクを攻撃しようと考えた。作戦名はツィタデレ(城塞)となった。

 一方のソ連側も、クルスクが狙われることを察知していた。戦力をクルスクに集中させ、敵の攻撃を防いだ後に反撃に転ずる作戦を立てた。クルスク周辺に陣地を建設し始めたのである。

 村は要塞化され、塹壕が掘られ、トーチカが設置された。鉄条網と地雷原も用意された。防衛を受け持つヴォロネジ方面軍は強化され、万が一突破されたときのためにステップ方面軍が新設された。

 さらにクルスクにドイツ軍を引きつけている間に、西方面軍と南方面軍がそれぞれ前進する作戦を計画していた。ソ連軍は大局的視点で戦略を立てていた、というわけである。

 一方、ドイツ軍はクルスクを攻撃することは決まっていたものの、戦力が整わずに作戦を何度も延期していた。各地から戦車をかき集め、作戦を開始したのは七月に入ってからだった。

プロホロフカ戦車戦

 最初に動いたのはドイツ中央軍集団の主力、第九軍だった。しかし要塞化された陣地に手こずり、なかなか進軍できなかった。この様子を見たソ連中央方面軍はT-34戦車で反撃を開始した。だが、T-34戦車はドイツ軍の新型戦車ティーガーの返り討ちに遭った。ドイツ軍は着実にクルスクに迫っていった。

 マンシュタインの指揮するドイツ南方軍集団も進撃を始めた。ソ連ヴォロネジ方面軍はこれを打ち破るべく戦車部隊を投入し、プロホロフカで戦車戦が起きた。プロホロフカ戦車戦は史上最大の戦車戦となり、ドイツ軍は300から400の戦車、ソ連軍は600から900程度の戦車が戦闘に参加したとされる。

 結果は、ドイツ軍の圧勝だった。ソ連軍はこの戦いで多数の戦車を失った。

 プロホロフカ戦車戦が起きる2日前、アメリカ・イギリス連合軍がイタリアのシチリア島に上陸を開始した。もはやドイツは攻勢に出るどころではなくなった。ヒトラーの命令により、ツィタデレ作戦は中止されたのだった。