第二次世界大戦の解説

日本の戦艦

金剛型戦艦

榛名
就役年 艦名 基準排水量 最大速度
1913年 金剛(こんごう) 31,720t 30.3kt
1914年 比叡(ひえい) 32,156t 29.7kt
1915年 榛名(はるな) 32,156t 30.5kt
1915年 霧島(きりしま) 36,668t 29.8kt

 最も古い戦艦でありながら、結果的に第二次世界大戦で最も活躍することになった戦艦たち。1番艦金剛はイギリスで建造され、当初は巡洋戦艦という扱いだった。2番艦以降は日本で建造され、高速ながら防御力もそこそこあるという優秀な艦だった。

 2番艦比叡は昭和天皇が乗艦する艦である「御召艦(おめしかん)」になっため、国民からとても人気があった。しかし比叡は日本の戦艦で最初に沈没してしまった。その2日後、4番艦の霧島がアメリカの新鋭戦艦サウスダコタ、ワシントンと砲撃戦を行い沈没した。

扶桑型戦艦

扶桑
就役年 艦名 基準排水量 最大速度
1914年 扶桑(ふそう) 29,330t 24.5kt
1917年 山城(やましろ) 29,326t 24.5kt

 金剛型と同時期に建造された国産戦艦。こちらは巡洋戦艦ではなく普通の戦艦として建造された。金剛型とは異なり、主に練習艦として使用され実戦の機会はほとんどなかった。

伊勢型戦艦

伊勢
就役年 艦名 基準排水量 最大速度
1917年 伊勢(いせ) 38,662t 25.3kt
1918年 日向(ひゅうが) 38,872t 25.1kt

 扶桑型の3番館、4番艦になる予定だったが、欠陥が発見されたため再設計され、新たな戦艦になった。ミッドウェー海戦後、航空母艦が不足したため伊勢と日向は航空戦艦へと改造されることになった。写真でも艦の後ろ側が航空機格納庫になっている。

 滑走路がないので搭載できる航空機は限られ、そもそも航空機が足りない状態だったので、結局は戦艦としてしか使用されなかった。とはいえ、たくさんの荷物を載せられるようになり物資運搬に活用したりされたので、改装がまったく無駄になったわけではない。

長門型戦艦

長門
就役年 艦名 基準排水量 最大速度
1920年 長門(ながと) 39,120t 25.0kt
1921年 陸奥(むつ) 39,050t 25.3kt

 長門型戦艦は日本で最も親しまれた戦艦で、長門、陸奥の2隻はアメリカのコロラド、メリーランド、ウェストバージニア、イギリスのネルソン、ロドニーと合わせて「世界七大戦艦」と呼ばれた。大和型戦艦は存在が秘密だったので、国民が知る日本最強の戦艦は長門と陸奥だった。

 陸奥は停泊中に謎の爆発事故を起こして沈没、長門は出撃の機会に恵まれず、レイテ沖海戦に参加後は燃料切れのため横須賀港で終戦を迎えた。最後まで稼働できた戦艦は長門だけだった。

加賀型戦艦

就役年 艦名 基準排水量 最大速度
- 加賀(かが) → 空母に改装
- 土佐(とさ) → 処分

 ワシントン海軍軍縮条約により建造中止となった2艦。加賀は空母に改装され、土佐は処分された。

大和型戦艦

大和
就役年 艦名 基準排水量 最大速度
1941年 大和(やまと) 64,000t 27.5kt
1942年 武蔵(むさし) 65,000t 27.5kt
- 信濃(しなの) → 空母に改装(未完成)

 日本で最も有名な戦艦。アメリカのアイオワ級戦艦よりも巨大で、主砲の46センチ砲も他に搭載した戦艦は存在しない。自分と同じ46センチ砲を食らっても大丈夫なように設計されているので、おそらくどんな戦艦が相手でも勝つことができた、はず。

 実際には戦艦と交戦するような機会はほとんどなく、ほぼ戦果もないまま航空機の集中攻撃を受けて沈んでしまった。なお大和と武蔵は軍事機密だったので、当時の日本国民は存在を知らなかった。有名になるのは戦後のことである。

 3番艦信濃は空母に改装され、未完成のまま横須賀から呉に移動する途中、アメリカの潜水艦に攻撃されてあっさり沈んでしまった。もっとも、既に日本には空母に搭載できる航空機はほとんどなかった。

天城型巡洋戦艦

就役年 艦名 基準排水量 最大速度
- 天城(あまぎ) → 破棄
- 赤城(あかぎ) → 空母に改装
- 高雄(たかお) → 破棄
- 愛宕(あたご) → 破棄

 長門型戦艦を上回る攻撃力、防御力、速力を持つ予定だった高速戦艦。ワシントン海軍軍縮条約で建造中止になり、天城と赤城が空母に改装されることになった。ただし天城は関東大震災で壊れてしまったので、そのまま破棄された。