ドイツの戦艦と巡洋艦
ドイッチュラント級重巡洋艦
就役年 | 艦名 | 基準排水量 | 最大速度 |
---|---|---|---|
1933年 | リュッツォウ(ドイッチュラント) | 12,100t | 28.5kt |
1934年 | アドミラル・シェーア | 12,100t | 28.5kt |
1936年 | アドミラル・グラーフ・シュペー | 12,100t | 28.5kt |
重巡洋艦程度の船体に、戦艦並みともいえる28センチ砲を搭載した軍艦。この後にドイツが造ったアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の主砲は20センチだから、とても巨大である。速力も十分。
その代わり防御力は低かった。しかし使い方次第では大活躍できるわけで、この設計には各国が注目し、「ポケット戦艦」と呼ばれるようになった。1番艦の名前はドイッチュラントで、これはそのまま「ドイツ」を指す。もしも沈んでしまったらドイツが沈むようで縁起が悪いので、艦名はリュッツォウに変更された。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦
就役年 | 艦名 | 基準排水量 | 最大速度 |
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1939年 | アドミラル・ヒッパー | 14,050t | 32.6kt |
1939年 | ブリュッヒャー | 14,050t | 32.6kt |
1940年 | プリンツ・オイゲン | 15,000t | 33.5kt |
- | ザイドリッツ | → 未完成 | |
- | リュッツォウ | → 未完成のままソ連に売却 |
基準排水量15,000トン近くにもなる大型重巡洋艦。
4番艦や5番艦はさらに巨大化する予定だった。当然、高い戦闘力を持っていたが、航続距離は短めで通商破壊作戦にはあまり向いていなかった。そのせいか北欧や東部戦線で陸軍を支援する任務が多かった。
軽巡洋艦エムデン
就役年 | 艦名 | 基準排水量 | 最大速度 |
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1925年 | エムデン | 5,300t | 29.5kt |
沿岸警備用に建造された軽巡洋艦。主に練習艦として使用された。
ケーニヒスベルク級軽巡洋艦
就役年 | 艦名 | 基準排水量 | 最大速度 |
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1929年 | ケーニヒスベルク | 7,700t | 32.0kt |
1929年 | カールスーエ | 6,650t | 30.0kt |
1930年 | ベルン | 8,350t | 32.0kt |
ヴェルサイユ条約の制限である排水量6,000トンを守るため、徹底的に軽量化された艦。やはり設計に無理があったようで、長期間航行すると船体が破損する危険があった。1番艦ケーニヒスベルクと2番艦カールスーエはノルウェー侵攻作戦中、イギリス軍の攻撃により沈没。
ライプツィヒ級軽巡洋艦
就役年 | 艦名 | 基準排水量 | 最大速度 |
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1931年 | ライプツィヒ | 8,380t | 32.0kt |
1935年 | ニュルンベルク | 9,040t | 32.0kt |
ケーニヒスベルク級軽巡洋艦を改良した艦。練習艦として使用された期間が長いが、主力艦の護衛なども務めている。