第二次世界大戦の解説

6つの絶滅収容所 証拠隠滅が謀られたホロコーストの現場

6つの絶滅収容所

 ナチスドイツが建設した強制収容所はたくさんある。主にユダヤ人や政治犯が収容され、強制労働をさせられることになった。

 収容所で強制労働させられると聞くと刑務所がイメージされるが、どれだけ労働をしても解放されることはないし、労働の目的は「抹殺」だった。つまり文字通り「死ぬほど働かされる」わけである。そして働けなくなったら処刑される運命にあった。

絶滅収容所

 強制収容所とは別に、「絶滅収容所」という名前の収容所も建設された。ここは名前のとおり、ユダヤ人を絶滅されるための収容所だった。絶滅収容所は現在のポーランドに全部で6か所建設された。

  1. ヘウムノ絶滅収容所
  2. ベウジェツ絶滅収容所
  3. ソビブル絶滅収容所
  4. トレブリンカ絶滅収容所
  5. マイダネク絶滅収容所
  6. アウシュビッツ絶滅収容所

 絶滅収容所ではガスによる「安楽死作戦」が実行された。この中で最も有名なのはアウシュビッツ絶滅収容所で、他の絶滅収容所はあまり知られていない。理由としてはドイツ敗戦前に閉鎖され、痕跡が消されていたこと、生き残った者がほとんどいなかったということがある。

 とはいえ、最も多くの犠牲者を出したのは、やはりアウシュビッツだった。

アウシュビッツ絶滅収容所

 アウシュビッツは最も大きな収容所で、絶滅収容所だけでなく強制収容所もある巨大な施設だった。場所はポーランドの主要都市クラクフの西にある。ここはポーランド領だが、戦争中はドイツ領に併合されていた。

 アウシュビッツには強制労働を行わせる工場、人体実験を行う施設、処刑場などがあった。建設当初は絶滅収容所ではなく、強制収容所だった。当時はトレブリンカ絶滅収容所がフル稼働していた。

 アウシュビッツに建てられた二つ目の収容所は、ビルケナウ収容所と名付けられた。絶滅収容所として運用されたのはこのビルケナウ収容所だった。ここでは各地から輸送されてくるユダヤ人を効率的に抹殺するため、ガス室が設置され焼却炉も用意された。

絶滅収容所の終わり

 6つの絶滅収容所のうち、最初に役目を終えたのはヘウムノ絶滅収容所だった。1943年に入る頃にはヘウムノへ移送されるユダヤ人はいなくなった。どうやら、絶滅させるべきユダヤ人がついにいなくなったらしい。3月には収容所は解体され、その痕跡は消し去られた。しかし1944年には再び収容所が建設され、再稼働するようになった。

 ベウジェツ絶滅収容所も1943年3月頃に閉鎖され、ソビブル絶滅収容所やトレブリンカ絶滅収容所も1943年の終わり頃に閉鎖されて解体された。

 マイダネク絶滅収容所とアウシュビッツ絶滅収容所、そして再稼働したヘウムノ絶滅収容所は1945年にソ連軍の接近により稼働停止に追い込まれるまで、存続し続けた。

 終戦後、アウシュビッツ絶滅収容所の司令官ルドルフ・ヘースはドイツ国内に隠れていたが発見された。彼はニュルンベルク裁判で250万人のユダヤ人をガス室に送ったと証言した。その後ヘースはポーランドに引き渡され、アウシュビッツで絞首刑になった。