第二次世界大戦の解説

ナチス親衛隊と武装親衛隊 ドイツ国防軍とは異なる第四の組織

武装親衛隊

 第二次世界大戦時のドイツ部隊には、「第一SS装甲師団」など、部隊名に「SS」がついたものがある。これはドイツ国防軍とは異なる組織に所属する部隊だ。

ナチス親衛隊

 武装親衛隊は「親衛隊」(Schutzstaffel、略称SS)に所属する。この親衛隊とは何かというと、ヒトラーを警護するために創設されたナチスの組織である。

 ナチスが政権を取ると、親衛隊の人数は爆発的に増えた。ヒトラーの意向により、親衛隊員になれる基準として、純粋なドイツ人で高身長&イケメン(金髪碧眼等)であることが条件となった。

 親衛隊は警察と統合されていき、治安維持や反体制派の取り締まりを行った。秘密警察(ゲシュタポ)も親衛隊の一組織であり、強制収容所も親衛隊の管轄だった。

 つまり、ユダヤ人虐殺をはじめとする悪名高い戦争犯罪を行っていたのが、親衛隊である。親衛隊員は終戦時に125万人いた。

武装親衛隊

 親衛隊のうち、小規模な武装部隊が成長して武装親衛隊となった。

 武装親衛隊は、ヒトラーによって国防軍や警察とは異なる独立した部隊と定められた。入隊は志願制で、陸軍以上に厳しい軍事訓練を行い、徹底した思想教育も受けたエリート部隊だった。ポーランド侵攻でめざましい働きを見せて、味方からも敵からも評価が定まった。

 武装親衛隊は重要な戦闘任務に従事し、多大な犠牲を出した。優れた装備と団結心を持っていた。武装親衛隊は外国人も多く受け入れた。スウェーデン、スイス、アメリカ、ノルウェー、デンマークなど、主に北方の人種を受け入れた。

 ナチスはロシア人を劣った人種と見なしていたので、思想教育を受けた武装親衛隊はソ連の捕虜や市民に容赦なかった。ソ連側も武装親衛隊員は捕虜にせず殺していたから、独ソ戦は凄惨なものとなった。

 SS装甲軍団はハリコフでソ連軍の攻撃を阻止し、ツィタデレ作戦では先鋒を務めた。彼らはドニエプル川でソ連軍の突破攻撃をよく防いだ。西部戦線に参加したSS装甲師団は、アメリカ軍に包囲されて大打撃を受けた。ラインの守り作戦にも再編成されたSS装甲師団が参加した。

 ドイツ降伏後、武装親衛隊は犯罪組織としてすべての将校と下士官が拘束された。第二次世界大戦を通して、武装親衛隊には100万人近くが所属していた。