第二次世界大戦の解説

国際連盟の常任理事国 機能不全を起こしていた国際機関

国際連盟の常任理事国

 国際連盟は第一次世界大戦後の1920年に発足したが、最初から多くの問題があった。

三つの欠陥

 まず一つ目の問題は、国際連盟を提唱したのはアメリカのウィルソン大統領だったが、肝心のアメリカが加盟しなかった。もちろんウィルソンは加盟する気だったのだが、孤立主義を望むアメリカ議会が反対した。当時のアメリカ議会は「ねじれ」状態であり、そもそも議会がウィルソンを支持していなかった。

 二つ目の問題は「国際連盟軍」が創設されなかったことである。ウィルソンは連盟軍の創設を主張していたが、イギリスが反対した。というのも連盟軍の主力がアメリカ軍になることが明白だったため、イギリスの影響力が衰えるのを恐れていた。一方でフランスは、連盟陸軍をフランスを置くことを条件に賛成していた。こちらもまた、連盟軍をフランスが自在に操ろうと考えていたからだった。

 そして三つ目、全会一致制が採用されていた。多くの加盟国がある中で全会一致などありえず、機能不全を起こすことになった。

常任理事国の変遷

 発足時の常任理事国はイギリス、フランス、日本、イタリアの四カ国だった。非常任理事国にはベルギー、ギリシャ、スペイン、ブラジルが入った。1926年にはドイツの加盟が認められ、同時に常任理事国になった。

 後に日本は満州国を認められなかったために国際連盟を脱退した。

 日本の国際連盟脱退は大問題であるかのように言われることが多いが、実は日本より前に国際連盟を脱退した国もあった。たとえばブラジルは常任理事国になれなかったことを不服として、1926年に脱退している。そもそもアメリカは国際連盟に加盟すらしていなかったし、ラテンアメリカなどの小国もかなり脱退していた。

 国際連盟は大した組織ではなかった。

 ドイツも脱退してしまったため、国際連盟はソ連の加盟を認めた。しかしイタリアが脱退し、ソ連もフィンランド侵略を理由に除名された。最終的に常任理事国はイギリスとフランスだけになっていた。
 第二次世界大戦後に発足した国際連合とは異なり、国際連盟の常任理事国には大した権限は与えられていなかった。与えられていれば常任理事国だった日本、ドイツ、イタリアが脱退する必要はなかったし、ソ連が除名されることもなかった。

民族自決

 国際連盟の基本方針として、民族自決があった。アメリカはイギリスやフランスの植民地を潰すため、民族自決を掲げた。だが植民地は「委任統治領」と名前を変えて、そのまま存続した。もちろんこれはイギリスやフランスの意向である。

 一方で、民族自決はドイツには適用されなかった。オーストリアやズデーテン地方など、ドイツ周辺にはドイツ人が多く住んでいたのだから、民族自決の原則が適用されるならばヒトラーが正しいことになる。

 日本は会議にはほとんど口出ししなかったが、唯一、人種差別撤廃の要求を行った。これにはアメリカ、イギリス、フランスをはじめとする白人国家が猛反対し、同法案は賛成票が多かったにもかかわらず、議長であるウィルソンが廃案にしてしまった。