世界大恐慌 暗黒の木曜日とフーヴァー大統領の政策
1920年代のアメリカは史上空前の好景気だった。株価は5年で5倍になり、誰もが株を買いあさった。そして1929年10月24日に株価が暴落し、その後一か月にわたって下落が続いた。
フーヴァー大統領の対策
アメリカ合衆国大統領フーヴァーはこの事態に対して、アメリカの経済には何ら問題がなく、ちょっと風邪を引いたようなものだと主張した。景気対策はほとんど行わず、緊縮財政を進めた。こうしてアメリカ経済はますます悪化した。
二年後、フーヴァーはようやく新たな政策を発表した。「フーヴァー・モラトリアム」である。アメリカの資本がドイツに流出していることを問題視したフーヴァーは、ドイツへの資本投下を一年間凍結した。
たちまちドイツは賠償金の支払いが困難になった。ドイツ首相ブリューニングは、「アメリカからの資本投下」という前提が崩れたため、賠償金の支払いを停止すると宣言。さらにはフーヴァー・モラトリアム終了後も賠償金を支払わないと主張した。
一年が経ち、フーヴァー・モラトリアムが終了しても景気はまったく回復していなかった。賠償問題を解決するためにローザンヌ会議が開かれた。
ローザンヌ会議
ローザンヌ会議では、まずドイツが賠償金の免除を要求した。フランスが反発したが、イギリスはフランスに同調しなかった。
ドイツの賠償金は大幅に減額され、さらに三年間の支払い猶予が与えらることになった。ただし、アメリカが戦争債権を放棄することが条件だった。しかしアメリカ議会が債権放棄に難色を示したために発効することはなく、翌年にはドイツのヒトラーがこの合意を一方的に破棄することになった。
そんなわけで、結局賠償金はほとんど払われずに終わった。
アメリカの景気
フーヴァーは1932年の大統領選挙でルーズベルトに歴史的大敗を喫した。こうして世界大恐慌に何ら有効な対策をとることのなかったフーヴァーは、アメリカ合衆国歴代大統領の中でも屈指の「無能」とされている。
フーヴァーは最後まで、アメリカ経済は健全であると主張していた。
対してルーズベルトは「ニューディール政策」で積極的に経済に介入し、福祉の充実、公共事業の拡大、労働者の権利拡大などを行った。アメリカはニューディール政策の結果が出る前に第二次世界大戦に突入し、景気は完全に回復する。ルーズベルト大統領のニューディール政策が景気回復をもたらしたかどうかは、はっきりわかっていない。