第二次世界大戦の解説

独裁者の最期 ~ヒトラーとムッソリーニ

独裁者の最期
ヒトラーとムッソリーニ

 イタリアの独裁者ムッソリーニの悲惨な最期は、ヒトラーに衝撃を与えた。

ムッソリーニの最期

 連合軍がシチリア島に上陸すると、イタリア国内では連合国との単独講和を望む声が大きくなった。党評議会で首相の解任が可決され、国王の命令によりムッソリーニは逮捕された。このニュースがラジオで流れると、ローマは市民は喜びに沸いた。

 ムッソリーニは標高2,000メートルのグラン・サッソ山頂のホテルに幽閉された。

 ドイツ軍はこの情報をつかむと、救出作戦を敢行。特殊部隊がグライダーでホテルを襲撃し、ムッソリーニを救い出した。ムッソリーニはドイツが北イタリアに樹立した傀儡国家「イタリア社会共和国」の元首になった。

 連合軍がノルマンディーに上陸すると、ムッソリーニは国外脱出を図った。しかしパルチザンに捕らえられ、愛人のクララ・ペタッチとともに殺された。彼らの遺体はファシスト党結党の地、ミラノに運ばれた。

 1945年4月29日、ムッソリーニとクララの遺体はミラノのロレート広場で逆さ吊りにされた。この光景は写真に残されており、第二次世界大戦の有名な写真のひとつである。

ヒトラーの最期

 ドイツ帝国最期の戦い、ベルリンの戦いは1945年4月16日から始まった。ドイツ軍最後の防衛ライン「ゼーロウ高地」は4日間で突破された。

 4月20日はヒトラーの誕生日だったので、ベルリンで祝賀会が開かれた。

 政府の高官たちはヒトラーに祝いの言葉を述べた後、ベルリンを離れていった。ソ連軍が迫っていたが、ヒトラーはもうベルリンを脱出するつもりはなかった。

 ヒトラーは総統官邸の地下室に籠もった。執務室にはプロイセンの英雄、フリードリヒ大王の肖像が掲げられていた。ヒトラーは自らをフリードリヒ大王に重ね合わせていた。この頃のすでにヒトラーは憔悴しきっていて、目は血走り、足を引きずるように歩いていたという。

 4月29日、ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げた。立会人はゲッベルス夫妻とボルマンが務めた。

 翌日、ヒトラーとエヴァは自殺する。遺体は地上に運ばれ、ガソリンをかけて焼却された。