第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とデンマーク

デンマークと第二次世界大戦

 ドイツと国境を接するデンマークは第一次世界大戦では中立を維持したが、ドイツとの関係には細心の注意を払っていた。

 ドイツでヒトラーが台頭すると、デンマーク政府は国内の新聞や雑誌がドイツを批判しないように目を光らせた。ドイツで迫害された共産主義者やユダヤ人はデンマークに逃げ込もうとしたが、デンマークは外国法を厳格化して難民を閉め出した。

ドイツとの関係に苦心するデンマーク

 ドイツがポーランドに攻め込んで戦争が勃発すると、デンマーク政府は第一次世界大戦同様、中立を維持したいと考えていた。ドイツもデンマークとは良好な関係を保っており、農産物を多く輸入していたため攻撃する予定はなかった。

 しかし、ドイツはノルウェーから鉄鉱石を輸入しており、ノルウェーが連合国側の手に落ちることを恐れていた。また、ノルウェーに飛行場を建設すればイギリスを爆撃することができた。ノルウェーに攻め込むには、間にあるデンマークの占領が不可欠だった。

 1940年4月9日、ドイツ軍は領内にに侵入し、デンマーク政府に領土内へのドイツ軍の進駐を要求した。デンマークはこれを了承した。

 デンマークはドイツに占領されることになったが、両国の関係は良好だった。デンマーク軍は存続を許され、両国の交渉は外務省を通して行われた。ドイツ軍は基地の外に出ることはなかったし、市民の生活にも大きな変化はなかった。

 ドイツに占領されていたものの、デンマークは依然として独立国家だった。

デンマークの戦争協力

 戦争が進むにつれて市民の生活は厳しくなった。食料品と燃料が値上がりし、日用品は配給制になった。

 ドイツはデンマークに戦争への参加を求めるようになった。デンマークは中立の立場を維持しつつも、デンマーク軍の将校がドイツ軍に加わる許可を出した。1万人を超えるデンマーク人が、武装親衛隊に加わった。

 また、デンマークはドイツ、イタリア、日本の結んだ防共協定にも加わった。

 政府は国内の共産主義者やレジスタンスを取り締まり、ドイツから逮捕を要求されるとすぐに従った。共産党は法律で存在を禁じられた。政党を禁止するのは憲法違反だったが、国民の多くも政府の判断はやむなしと考えていた。

8月暴動

 ドイツが北アフリカとスターリングラードで敗北すると、状況が変わる。

 都市の市民は悪化する生活と労働環境に不満を募らせていた。国内ではイギリスの支援を受けたレジスタンス活動が活発になり、ついに1943年8月、国内で大規模なストライキが起こった。

 これに対してドイツはデンマーク政府に、ドイツ軍がメディア検閲を行うこと、ストライキを禁ずること、サボタージュを行ったものは死刑にすることを要求した。

 政府はこれに応じず辞職し、デンマーク軍は解散された。ドイツはデンマーク国内に秘密警察を送り込んだ。しかし、デンマークの管理は官僚にそのまま委任した。

レジスタンスの戦い

 デンマークの市民はドイツの敗北を確信するようになり、レジスタンス運動は激しさを増した。スウェーデンやイギリスから武器と爆弾を入手し、戦いに参加した。

 1943年10月、ナチスはデンマーク国内のユダヤ人7000人を捕らえようとした。しかし事前に計画を察知した多くのデンマーク市民は危険を冒してユダヤ人を隠し、スウェーデンに逃がしていた。そのため、ドイツが逮捕できたのは260人に留まった。

 ドイツは報復としてデンマークの有名な企業や施設を爆破し、逮捕したレジスタンスを処刑した。また、デンマーク警察がレジスタンスに加わることを恐れて警察官2000人を逮捕し、強制収容所へ送った。

 しかし抵抗運動はさらに激しくなり、ドイツ兵の乗った列車が脱線させられ、ドイツに物資を送っていた工場は爆破された。国内ではドイツ軍とレジスタンスの銃撃戦が発生した。

 ドイツが降伏するとレジスタンスが臨時政府を樹立した。政府はドイツ軍に協力した者を処罰する法律を定め、廃止されていた死刑制度を復活させた。レジスタンスは国内で4万人のドイツ軍協力者を逮捕し、そのうち46人に死刑が執行された。