第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とチェコスロバキア

チェコスロバキア

 第一次世界大戦でオーストリア帝国の支配下にあったチェコスロバキアでは、同じスラブ人であるロシアと戦うことを嫌がり多くの兵士がロシア軍に投降した。

 しかしロシア革命が起きたため、彼らチェコスロバキア軍団はロシア革命軍と戦いながら東へ移動し、連合国軍との合流を目指した。このときイギリスと同盟関係にあった日本がチェコスロバキア軍団を救援するため、シベリアに出兵している。

 結局チェコスロバキア軍団は戦闘には間に合わなかったが、この行動はアメリカ、イギリス、フランスに高く評価され、ついにオーストリアからの独立が認められることになった。

ズデーテン問題

 チェコスロバキアと隣国ドイツの間には、ズデーテン問題があった。チェコスロバキアの領土であるズデーテン地方にはドイツ人が多く住んでいて、ヒトラーがこの地域のドイツ併合を迫ったのである。

 イギリスとドイツの話し合いにより、ズデーテン地方はドイツの領土になることが決まった。チェコスロバキアは話し合いに参加することもできなかったが、同意しないのならばドイツの侵攻を受けてもイギリスは援助しないと言われたので、やむなく同意した。

 こうしてズデーテン問題のは解決した。ズデーテン地方がドイツの領土になったことで、ヨーロッパの平和は守られた。少なくとも、イギリス首相チェンバレンはそう宣言した。

 それから半年後、チェコスロバキアはドイツ軍に占領され、チェコとスロバキアに分割された。チェコはドイツの保護国にされ、スロバキアはドイツの傀儡政権によって支配されることになった。

リディチェの悲劇

 チェコでは政党活動が禁じられ、高等教育も停止させられた。多くのチェコスロバキア人は国を脱出してイギリスに逃れ、軍に志願した。

 チェコはドイツ軍の支配を受けていたが、ドイツ軍の最高責任者ハイドリッヒがレジスタンスに暗殺されるという事件が発生した。ドイツ軍は犯人がリディチェ村に潜伏しているという噂を聞きつけ、村民全員を逮捕した。男は処刑され、女は収容所へ送られた。

 しかし実際には、村に暗殺犯はいなかった。暗殺犯はプラハのプラハの聖キリール・聖メトディオス教会に潜伏していて、後にドイツ軍に包囲され、銃撃戦の末に射殺された。

ソ連軍によるプラハ解放

 1945年3月にスロバキア全土がソ連軍により解放された。

 モスクワとロンドンにあったチェコスロバキア亡命政府は、ソ連による解放を望んでいた。彼らはかつて、ズデーテン問題でイギリスとフランスに見捨てられたことを恨んでいたのだった。こうしてスロバキアで新政府が樹立し、プラハが解放されると首都をプラハに移した。ズデーテン地方はチェコスロバキアに返還され、ドイツ人は追放された。

 チェコスロバキアの領土は戦争前の状態には戻らなかった。領土の一部はソ連に割譲され、領土の9パーセント、人口の20パーセントを失った。さらにソ連支配下にあったことから、アメリカからの支援を受けることもできなかった。