第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とチェコスロバキア

 第一次世界大戦でオーストリア帝国の支配下にあったチェコとスロバキアは、同じスラブ人であるロシアと戦うことを嫌い、多くの兵士がロシアに軍に投降した。

 しかしロシアで革命が起こったため、兵士たちは東へ移動し、ロシア革命軍と戦いながら海を越えてイギリス・フランス軍との合流を目指した。イギリスと同盟関係にあった日本は、チェコスロバキア軍団の救援のためにシベリアに出兵する。

 結局チェコスロバキア軍団は戦闘には間に合わなかったが、この行動はアメリカ、イギリス、フランスに高く評価され、ついにオーストリアからの独立が認められた。

ズデーテン問題

 ドイツにヒトラーが台頭すると、チェコスロバキアには多くのユダヤ人が逃げ込んできた。

 チェコスロバキアとドイツの間には、ズデーテン地方の問題があった。ズデーテン地方には、ドイツ人が多く住んでいた。ヒトラーはズデーテン地方のドイツ併合をチェコスロバキアに迫るようになる。

 ドイツとイギリス、フランスの協議の結果、ズデーテン地方はドイツに割譲されることになった。この協議にチェコスロバキアは参加すら出来なかったが、同意しない場合はドイツの侵攻を受けても援助しないとイギリス・フランスから申し渡されたため、やむを得ず同意する。

 イギリス首相チェンバレンは「これでヨーロッパの平和は守られた」と言った。

チェコスロバキア解体

 それから半年後の1939年3月、チェコ全土がドイツ軍に占領された。チェコスロバキアは解体され、チェコはドイツの保護国になった。スロバキアは単独で独立することになり、ヒトラーの傀儡政権が樹立された。

 ドイツがポーランドに侵攻を開始すると、ロンドンに亡命していたベネシュ大統領は亡命政府を樹立する。

リディチェの悲劇

 ドイツはチェコの政党活動を禁止し、高等教育を停止させた。多くのチェコスロバキア人は国内から脱出し、イギリス軍に加わった。さらにレジスタンスがドイツの最高責任者ハイドリッヒを暗殺する。

 ドイツは徹底報復を行った。暗殺者がリディチェ村に潜伏したという噂を聞きつけると、村の住民全員を逮捕し、男は処刑、女は収容所送りにした。

 暗殺実行員はリディチェ村にはおらず、プラハの聖キリール・聖メトディオス教会に潜伏していた。彼らはドイツ軍に包囲され、銃撃戦の末に戦死した。

プラハ解放

 1945年3月、スロバキア全土がソ連軍により解放された。

 プラハからドイツ軍は既に撤退していたが、アメリカのアイゼンハワー総司令官はソ連に配慮してプラハへの進軍は行わなかった。この命令に背いてパットン将軍がプラハ進出を狙ったが、プラハはソ連軍による解放を望んでいた。

 モスクワにはチェコスロバキアの共産党幹部が多数亡命していた。ロンドンの亡命政府も、共産党と手を組んで新政府を樹立することに同意していた。

 チェコスロバキアは、ズデーテン地方問題でイギリスとフランスに見捨てられたことを忘れてはいなかったのである。

 新政府は4月にスロバキアで樹立され、プラハが解放されるとそこへ移った。

戦後のチェコスロバキア

 ズデーテン地方はチェコスロバキアに返還され、ドイツ人は追放された。領土の一部はソ連に割譲され、チェコスロバキアは敗戦国ではないにも関わらず、領土の9パーセントと人口20パーセントを失うことになった。

 第二次世界大戦でチェコスロバキア国内にいたユダヤ人は、ほとんどが消え去っていた。

 チェコスロバキアは、ソ連の圧力によってアメリカからの経済援助を受けることが出来なかった。その後もチェコスロバキアはソ連の強い影響下に置かれていくことになる。