第二次世界大戦の解説

第二次世界大戦とベルギー

ベルギー

 ベルギーは永世中立国だったが、第一次世界大戦でドイツ軍の侵攻を受けた。国境にあるリエージュ要塞でドイツ軍と戦ったものの、結局国土を占領されてしまった。

 ベルギーは中立政策を捨てた。ドイツの脅威に備えるため、フランスと同盟を結び、ルクセンブルクと経済同盟を結んだ。

 1934年、国民に高い人気を誇った国王アルベール1世が趣味の登山中に遭難死した。代わって即位したレオポルド3世は、フランスとの同盟がドイツを刺激することになり、ベルギーが攻撃目標になってしまうと考えた。

 新たな国王の下、ベルギーは再び中立政策へと立ち返る。

ベルギーの中立政策

 第二次世界大戦が始まり、ポーランド、デンマーク、ノルウェーが占領されたことで、ベルギーはドイツの次の目標になった。イギリスとフランスはベルギーを守るため、軍の常駐許可を求めてきた。

 しかし中立を貫く希望を捨てなかったレオポルド3世はこれを拒否し、逆にドイツの意向をくんで国内の共産主義者、活動家、ユダヤ人を追放した。これにはイギリス人やフランス人も含まれていた。

 この行動にフランス首相レノーは激怒し、イギリス首相チャーチルは愚かだと嘆いたとされる。

ベルギーの戦い

 1940年5月10日、ドイツ空軍がベルギーへの空爆を開始した。ベルギー空軍は一瞬にして壊滅し、ベルギー最大のエバン・エマール要塞は24時間で陥落した。レオポルド3世はベルギー軍を率いて西へ退却しつつ、国民に徹底抗戦を呼びかけた。

 12日、ベルギー・フランス連合軍は大量の戦車を用いてアニュー村でドイツ軍を迎え撃った。この戦いで連合軍はドイツ軍の足止めに成功し、イギリス軍がかろうじてダンケルクから撤退した。

 25日、ベルギー政府と国王は今後の方針を話し合ったが、意見は真っ向から対立した。政府はイギリスに亡命して徹底抗戦するべきと説き、国王は無条件降伏するのが最良だと主張した。

 話し合いは決裂した。政府首脳はイギリスへ亡命し、レオポルド3世を国王と認めないと宣言した。国内に残ったレオポルド3世はドイツに降伏する。

 ベルギーはドイツに支配され、食糧配給は極端に制限された。また、連合軍からの空爆もたびたび受けることになった。しかし、当初は枢軸国側が明らかに優勢だったため、国民はドイツに協力する者が多かった。ベルギー・オランダ・北フランスに統一国家の樹立を目指す動きも見られた。

 一方でレオポルト3世はナチスの意向に反し、国内の統治を拒否した。彼の主張は終始一貫して「中立」の維持であり、ドイツに協力する気はなかった。レオポルド3世はドイツ国内に幽閉された。

 1944年6月に連合軍がノルマンディーに上陸すると、ベルギーは再び戦場となった。9月9日までにブリュッセル、リエージュなどの主要都市が解放され、11月3日には全域が連合軍に解放された。

孤立するレオポルド3世

 戦後、レオポルド3世は国王に復位する意思を表明した。しかしベルギー国民の彼を見る目は厳しかった。

 レオポルド3世はかつて自動車事故を起こし、国民から敬愛されていたアストリッド妃を失っていた。彼はドイツ国内にいる間に平民出身のリリアンと結婚し、ヒトラーから祝福を受けていた。

 彼は「国を捨てた裏切り者」と見なされていた。

 国民投票では57パーセントが国王復帰に賛成したものの、首都ブリュッセルやフランスに近い地域では賛成が50パーセントを下回った。

 レオポルド3世がベルギーに戻ると、大規模な抗議運動が巻き起こった。ベルギーの世論は分断され、憲兵隊との衝突で死者が出るに至って、レオポルド3世は復位を断念。息子のボードゥアン王子に王位を譲った。