第二次世界大戦の解説

沖縄戦その1 ~戦艦大和の特攻~

 1945年2月19日、硫黄島の日本軍が全滅した。

 サイパン島と硫黄島を確保しアメリカ軍は日本本土への爆撃を続けていたが、3月にはついに沖縄上陸作戦が実施されることになった。

日本軍の沖縄守備隊

 日本軍は沖縄防衛のために第32軍を配備していた。兵力は砲兵部隊を含む10万人である。しかし大本営はアメリカ軍が先に台湾に上陸するか、沖縄に上陸するかがわからなかったため、1個師団を台湾に移動させてしまっていた。

 当初の計画では、これを補充するために本土から1個師団が送られるはずだったが、輸送中にアメリカの潜水艦に沈められることを恐れて中止された。

 第32軍は不足を補うために現地の住民や学生を召集し、最終的には10万人程度の兵力となった。

慶良間列島上陸

 アメリカ軍が最初に上陸したのは慶良間列島である。3月23日のことだった。

 日本軍は慶良間列島への上陸はあまり考えていなかった。地形が険しく、飛行場が建設できない土地だったからである。しかしアメリカ軍は慶良間列島が大艦隊を停泊させるのに適していると判断した。

 慶良間列島にはほとんど守備隊が配置されていなかったから、アメリカ軍は苦労せず上陸することができた。慶良間列島の住民はアメリカ軍の残虐さを教え込まれていたから、700人が自殺した。

沖縄本島上陸

 アメリカ軍は上陸に先立ち、2万8千発の艦砲射撃と3千機による爆撃を行った。日本軍は砲の位置を知られないよう、反撃せずに沈黙していた。

 4月1日、アメリカ軍は沖縄本島への上陸を開始する。戦艦10隻を含む177隻で艦砲射撃を2時間ほど続け、上陸地点の一切の障害物を吹き飛ばした。

 アメリカ軍はペリリュー島で日本軍の激しい抵抗に遭っていたから、今回も反撃を恐れていた。しかし、日本軍はほとんど反撃することはなく、アメリカ軍は無事に上陸することができた。嘉手納と読谷の飛行場もすんなりと占領した。

第32軍の持久戦計画

 第32軍は持久戦を計画していた。しかし二つの飛行場をあっさりと奪われたことに台湾の上級司令部は不満を持ち、攻撃を命じた。海軍も大規模な特攻作戦を計画しており、飛行場の破壊要請が入った。

 第32軍はこうした命令や要請を無視することはできず、攻撃を開始する。4月5日には本格的な戦闘が始まり、いったんアメリカ軍の進撃を食い止めたものの、いくつかの部隊が全滅した。第32軍は8日には攻撃を中止する。

戦艦大和の特攻

 4月6日、戦艦大和が沖縄に向けて出撃する。

 大和は軽巡洋艦1隻と駆逐艦8隻を率いて南下し、アメリカ海軍の集結している読谷または嘉手納の海岸に突入、砂浜に乗り上げて陸上砲台となる計画だった。

 こんな計画が成功するはずもなく、作戦には反対意見が続出した。しかし伊藤長官が「我々は死に場所を与えられた。一億総特攻の先駆となろう」と語り、出撃が決定したのだった。

 第32軍は大和出撃の連絡を受け、作戦の中止をすすめる電報を返した。

 大和は出撃の翌日、300機以上の米軍機の攻撃を受けて沈没した。伊藤長官は大和と運命を共にしたが、最後に「艦隊は引き返せ」と命令を下した。生き残った駆逐艦は救命活動を行い、佐世保へと引き返していった。