第二次世界大戦の解説

バトル・オブ・ブリテン

 1940年、ダンケルクに追い詰められたイギリス・フランス連合軍は、かろうじて撤退に成功した。しかし火砲を始め、装備のほとんどは放棄して着の身着のままで脱出した状態であった。

 ドイツ軍はイギリス本土上陸作戦「あしか作戦」を計画する。三号戦車を改造した潜水戦車や、二号戦車を改造した浮航戦車が開発されたが、輸送船は明らかに不足していた。

イギリス国防市民軍

 このような状況でイギリスは、各地に居住する退役軍人や兵役を免除された市民、高齢者を集めて国防市民軍(ホームガード)の組織を急いだ。

 ダンケルクより帰還した部隊は装備がなかったため、第一次世界大戦で使用されていた兵器を倉庫から引っ張り出して支給した。

ヴェントナーレーダー基地爆撃

 1940年8月12日、ドイツ空軍はイギリス南部の都市ポーツマスを空襲すると見せかけ、ヴェントナーのレーダー基地を爆撃する。レーダーは破壊されたが、イギリス空軍の反撃によってJu88爆撃機10機が撃墜された。レーダー基地は3週間、使用不能となった。

 同時にドイツ軍はフランスのカレー地区から、ドーバー海峡を挟んでイギリス本土への砲撃を開始した。イギリスも旧式の列車砲を緊急配備して撃ち返し、ドーバー海峡は砲弾が行き交う状態になった。

ロンドン爆撃

 当初ヒトラーはイギリスとの和睦の道を残すためロンドンへの爆撃を禁じていた。

 しかし、ドイツ空軍の爆撃機がロンドンを誤爆したため、イギリス空軍は報復としてベルリンに夜間爆撃を行った。これに激怒したヒトラーは、ロンドンへの爆撃を許可。9月7日に数百機のドイツ軍爆撃機がロンドンを爆撃した。

 この後、ロンドンは連日の空襲を受けることになる。しかし飛行場への攻撃が減ったことで、イギリス空軍は時間を稼ぐことができた。

バトル・オブ・ブリテン

 9月15日、ドイツ空軍は千機以上の大編隊でロンドンへの空爆を行った。イギリスは事前にこの動きを察知し、全兵力約300機で迎え撃った。

 この日の戦いでイギリス空軍は56機を撃墜し、損害は26機だった。ドイツ軍の戦闘機は長距離飛行のため燃料切れ寸前で、十分に戦うことができなかった。

 2日後、ヒトラーは「あしか作戦」の無期限延期を決定した。

爆撃継続

 ドイツ空軍は以降も夜間爆撃を中心にイギリスへの空爆を継続したが、結局バトル・オブ・ブリテンはイギリスの勝利に終わった。